いつもへりのほう

崖っぷち社会人2人が本を読み人生について語ります。

カブトムシ

カブトムシに打ち倒されるな、と言ったのはカーネギーだ。
この言葉は本当にありがたくて、何度も助けられた。

すぐに打ちのめされがちなわたしは、社会で生きていくために何度もこの言葉を心の中で唱えた。わたしは大木であり、自分を悩ませる出来事は全て小さなカブトムシ。そんなものに負けている場合ではないし、負けるはずがない。
全部些末な出来事だ。わたしの人生のにおけるほんの小さな障害たち。
心が強くなった。くよくよしたりしなくなった。心を悩ませ、会社に行きたくたない、などと思うことはない。

先日、他の会社の2年目と10人くらいで飲んだ。隣に座っていた男の子に、飄々としていて傷ついたりしなそうだねと言われた。
初対面なのによくわかるな、と思った。
それともそれ程までに、わたしは見るからに傷ついたりしなそうなのか。

小説を読まなくなり、暗い映画をあまり見なくなった。読むのは実用的な本や新聞。観るのは流行っているドラマか有名な映画。
なぜなら必要ないから。今までは必要だったがもう必要ない。悩んでいないから。心に闇がないから。
むしろ小説に触れることで悩みが生まれてしまう。
小説を読むこと、考えることは自分の中にカブトムシを見つけることだ。無視していないことにしなくてはならないカブトムシをわざわざ見つけ出し、観察すること。時にはそれを飼い太らせることだ。


社会人になってずっと抱えているジレンマがある。カブトムシを無視するのか、捕まえにいくのか。
いつかカブトムシを捕まえにいく、つもり。でも、生きていくために、無視しているうちに、カブトムシの捕まえ方を忘れてしまうんじゃないだろうか。それどころか、カブトムシが一体どんなものなのか忘れてしまうのではないだろうか。


皆、うまいことやっているようにわたしには見える。カブトムシを捕まえながらもそれなりに生きている。
優柔不断で中途半端な性格の癖に不器用だからわたしはどちらかに偏ってしまうのだ。カブトムシを完全に無視して感情を排し、強く生きていくのか、毎晩泣きながらカブトムシを探し続けるのか。
ずっと迷っているけど、いつかカブトムシ採集に行くことだけは決めている。